この催しは終了しました
井上ひさし展示室 企画展紙屋町さくらホテル著作資料展〜2年ぶりのこまつ座公演に寄せて〜
- 開催日
- 2022年4月26日(火)〜8月7日(日)
- 時間
- 《平日》9:30〜19:00 《日・祝》9:30〜17:00
- 場所
- 遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
- 料金
- 無料
『紙屋町さくらホテル』は、実在した人物と架空の人物を絡めながら、井上芝居らしいおもしろさのある作品です。
『父と暮せば』に次ぐ「井上ひさしのヒロシマ」を描いています。
「紙屋町さくらホテル」は、1997年10月、井上ひさしが新国立劇場(中ホール)の開場記念公演の依頼を受け書き下ろした作品です。 実在する人物と架空の人物を絡め、独特な井上ワールドを醸し出しています。場所は広島市の紙屋町さくらホテル、時代は第二次世界大戦の終戦前後。 コントのようなセリフ回しに思わず笑えるシーンもありますが、戦争の不条理さを鋭くえぐる場面もあり、25年を経た現代にもずしりと響いてくる作品です。
7月9日(土)には、遠藤学芸員によるギャラリートークもございます。
ギャラリートークは終了しました。
この機会に、ぜひご覧ください。
和田誠が描いた井上芝居のポスター・本の表紙あれこれ 同時開催中
井上ひさしプロフィール
1934年11月16日、山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に、父修吉、母マスの次男として生まれる。
本名は廈。五歳のときに父が病没。亡父の蔵書を読みながら育つ。特に坪内逍遥訳の「シェークスピヤ全集」と「近代劇全集」を愛読。
仙台第一高校時代には、映画と野球に熱中した。受洗。
1953年、上智大学文学部ドイツ文学科入学。夏休みに母の住む釜石に帰省して休学。国立釜石療養所の公務員などを務めつつ二年余りを過ごした後、外国語学部フランス語学科に復学。浅草のストリップ劇場フランス座の文芸部兼進行係となり、台本も書きはじめる。
戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』が芸術祭脚本奨励賞を受賞。放送作家をしながら、大学を卒業。
1964年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。その後、五年間におよぶ。「泣くのはいやだ笑っちゃおう」というテーマ曲とともにミュージカル形式の番組は多くの人々に愛された。
1969年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。
1970年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。
1972年、江戸の戯作者群像を描いた『手鎖心中』で直木賞、『道元の冒険』で岸田戯曲賞ほかを受賞。以降、戯曲、小説、エッセイ、批評など多才な活動を続ける。
戯曲は、文学座、五月舎、しゃぼん玉座、地人会、松竹などに書き下ろす。『藪原検校』『雨』『小林一茶』『化粧』ほか、この時期の作品は今も再演され続けている。文章読本『私家版日本語文法』や東北の一寒村が独立する物語『吉里吉里人』はベストセラーになった。
1984年、こまつ座を旗揚げ。旗揚げ公演の『頭痛肩こり樋口一葉』から以降、2009年の『組曲虐殺』まで、こまつ座のために共催を含めて25作品を執筆。
1987年、蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して図書館「遅筆堂文庫」が開館。以後、校長として生活者大学校を開校してきた。1994年には遅筆堂文庫と劇場が一体になった「川西町フレンドリープラザ」が開館する。その後も続いた寄贈により、資料とあわせた蔵書は現在22万点を超える。
1997年、新国立劇場の柿落としに『紙屋町さくらホテル』を執筆。以後、「東京裁判三部作」他を書き下ろした。
戯曲『父と暮せば』『ムサシ』『化粧』『藪原検校』などは海外公演でも高い評価を得ており、『父と暮せば』は、英語、ドイツ語、イタリア語、中国語、ロシア語、フランス語で対訳本が刊行されている。国鉄民営化、コメ問題、平和と憲法についてなど、社会的な発言も多く、『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』『ボローニャ紀行』など作品も幅広い分野におよんでいる。「九条の会」呼びかけ人、日本ペンクラブ会長、仙台文学館館長、また多くの文学賞の選考委員を務めた。
2010年4月9日、75歳で死去。
川西町立図書館・遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
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