この催しは終了しました

開催日
2023年5月10日(水)〜8月27日(日)
時間
《平日》9:30〜19:00(12月〜3月は18:00閉館) 《日・祝》9:30〜17:00
場所
遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
料金
無料
月曜休館日(月曜祝日の場合は翌日)

昭和庶民伝 3部作

井上ひさしは、平凡な毎日を過ごす人たちが大きな力によってどうすることも出来ないことに巻き込まれて行く姿と、それでも再び立ち上がり生きていこうとする逞しさを、無数にある美しいもの「星」「花」「雪」をタイトルに用いて、昭和庶民伝 3部作を書きました。

 

《初演》

「きらめく星座」1985年

「闇に咲く花」1987年

「雪やこんこん」1987年

 


カセットテープ1本が無い⁉


「きらめく星座」には戦前ヒットした「一杯のコーヒーから」や「青空」などが使われている。

レコード店オデオン堂に後妻として嫁いだふじは元レコード歌手。

ふじは人気歌手の市川春代と同時期に「突っ張らかっちゃ駄目よ」、裏面「うちの女房にゃ角がある」という歌でデビューしたという。これは「とんがらがっちゃ駄目よ」(渡辺はま子)と「うちの女房にゃ髭がある」(杉狂児&美ち奴)のもじり。

井上ひさしが「きらめく星座」を執筆するにあたって参考にしたと思われる『オリジナル原盤による戦前昭和歌謡』が遅筆堂文庫に収蔵されている。

芝居の中で何度か流れる「青空」はアメリカで大ヒットした「My Blue Heaven」が原曲。

劇中では、聴きなじみのあるエノケン(榎本健一)のものが使われているが、この資料によると、はじめは(昭和三年)二村貞一と天野喜久代のデュエット曲として発売されたものとある。 カセットテープに解説文が付けられて販売されたものだが、遅筆堂文庫に届いた段階で「あお空」が入っているカセットテープ一本がなかった…。


今年2023年6月3日(土)には、川西町フレンドリープラザにて、こまつ座 第146回公演「きらめく星座」が上演されました。










ぜひこの機会に足をお運びください。



映画「生きる」 同時開催中


井上ひさしは熱狂的な映画ファンで知られています。

その中でも黒澤明監督の映画は1位〜3位を独占しているほどです。

今回展示している映画「生きる」は井上ひさしが3番目に好きだと言っている黒澤作品です。

(ちなみに1位は「七人の侍」、2位は「天国と地獄」)

今回、カズオ・イシグロ脚本によりイギリスにてリメイクされました。(現在公開中です)

それに伴い、ミニ展示コーナーにて井上ひさしが集めた映画の書籍の一部を展示しております。

いかに映画が好きだったかがわかる資料展示となっております。

ぜひこの機会に御覧ください。






井上ひさしプロフィール




1934年11月16日、山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に、父修吉、母マスの次男として生まれる。
本名は廈。五歳のときに父が病没。亡父の蔵書を読みながら育つ。特に坪内逍遥訳の「シェークスピヤ全集」と「近代劇全集」を愛読。
仙台第一高校時代には、映画と野球に熱中した。受洗。
1953年、上智大学文学部ドイツ文学科入学。夏休みに母の住む釜石に帰省して休学。国立釜石療養所の公務員などを務めつつ二年余りを過ごした後、外国語学部フランス語学科に復学。浅草のストリップ劇場フランス座の文芸部兼進行係となり、台本も書きはじめる。
戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』が芸術祭脚本奨励賞を受賞。放送作家をしながら、大学を卒業。
1964年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。その後、五年間におよぶ。「泣くのはいやだ笑っちゃおう」というテーマ曲とともにミュージカル形式の番組は多くの人々に愛された。
1969年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。
1970年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。
1972年、江戸の戯作者群像を描いた『手鎖心中』で直木賞、『道元の冒険』で岸田戯曲賞ほかを受賞。以降、戯曲、小説、エッセイ、批評など多才な活動を続ける。
戯曲は、文学座、五月舎、しゃぼん玉座、地人会、松竹などに書き下ろす。『藪原検校』『雨』『小林一茶』『化粧』ほか、この時期の作品は今も再演され続けている。文章読本『私家版日本語文法』や東北の一寒村が独立する物語『吉里吉里人』はベストセラーになった。
1984年、こまつ座を旗揚げ。旗揚げ公演の『頭痛肩こり樋口一葉』から以降、2009年の『組曲虐殺』まで、こまつ座のために共催を含めて25作品を執筆。
1987年、蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して図書館「遅筆堂文庫」が開館。以後、校長として生活者大学校を開校してきた。1994年には遅筆堂文庫と劇場が一体になった「川西町フレンドリープラザ」が開館する。その後も続いた寄贈により、資料とあわせた蔵書は現在22万点を超える。
1997年、新国立劇場の柿落としに『紙屋町さくらホテル』を執筆。以後、「東京裁判三部作」他を書き下ろした。
戯曲『父と暮せば』『ムサシ』『化粧』『藪原検校』などは海外公演でも高い評価を得ており、『父と暮せば』は、英語、ドイツ語、イタリア語、中国語、ロシア語、フランス語で対訳本が刊行されている。国鉄民営化、コメ問題、平和と憲法についてなど、社会的な発言も多く、『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』『ボローニャ紀行』など作品も幅広い分野におよんでいる。「九条の会」呼びかけ人、日本ペンクラブ会長、仙台文学館館長、また多くの文学賞の選考委員を務めた。
2010年4月9日、75歳で死去。


川西町立図書館・遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
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