この催しは終了しました

開催日
2023年8月29日(水)〜2024年1月27日(土)
時間
《平日》9:30〜19:00 《日・祝》9:30〜17:00
場所
遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
料金
無料
月曜休館日(月曜祝日の場合は翌日)

井上ひさし交友録

ひとびと劇場〜大江健三郎・丸谷才一・藤沢周平

残念ながら、井上ひさしと深く親交のあった方々が相次いで亡くなっている。かつて一緒に対談を行った仲では、加賀乙彦、平岩弓枝、森村誠一、今村忠純ほかが2023年になって鬼籍に入った。なかでも3月大江健三郎の死は、文学のみならず日本の良心の拠り所として大きな損失となった。
彼とともに井上ひさしの最も深い「同士」とも言える2人の鶴岡出身文学者 丸谷才一 藤沢周平 を含めて、特にその文学的関わりを紹介する。


人が好き、話好き。

しかしなにより仕事が好きで、酒も飲まない。

そんななかで、最も近しいところにいた3人の文学者をとりあげる。

同士である。

そしてなによりも故郷を愛した。


大江健三郎(小説家)


1935年1月31日 愛媛県喜多郡大瀬村(現在の内子町大瀬)に生まれる。

井上ひさしとは同学年。9歳で父を亡くす。その頃吃音に悩む。これらの体験も井上と共通する。


丸谷才一(小説家)


1925年8月27日 鶴岡市馬場町生まれ。

丸谷の小説は一貫して、代表作の表題どおり、『たった一人の反乱』(1972年)を企てる者が主人公である。

孤立無縁のまま権力に立ち向かうという物語の方向性を、井上ひさしと共有する。

対談の相手としても、互いにおそらく最も多い。雑誌・書籍掲載ぶんは47件を数える。


藤沢周平(小説家)


1927年12月26日 東田川郡黄金村(現鶴岡市)の農家に生まれた。

小学5年の時、吃音に悩む。苦学という経歴も井上ひさしに似る。井上ひさしと丸谷才一が弔辞を読んだ。







ぜひこの機会に足をお運びください。



映画「生きる」 同時開催中


井上ひさしは熱狂的な映画ファンで知られています。

その中でも黒澤明監督の映画は1位〜3位を独占しているほどです。

今回展示している映画「生きる」は井上ひさしが3番目に好きだと言っている黒澤作品です。

(ちなみに1位は「七人の侍」、2位は「天国と地獄」)

今回、カズオ・イシグロ脚本によりイギリスにてリメイクされました。(現在公開中です)

それに伴い、ミニ展示コーナーにて井上ひさしが集めた映画の書籍の一部を展示しております。

いかに映画が好きだったかがわかる資料展示となっております。

ぜひこの機会に御覧ください。






井上ひさしプロフィール




1934年11月16日、山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に、父修吉、母マスの次男として生まれる。
本名は廈。五歳のときに父が病没。亡父の蔵書を読みながら育つ。特に坪内逍遥訳の「シェークスピヤ全集」と「近代劇全集」を愛読。
仙台第一高校時代には、映画と野球に熱中した。受洗。
1953年、上智大学文学部ドイツ文学科入学。夏休みに母の住む釜石に帰省して休学。国立釜石療養所の公務員などを務めつつ二年余りを過ごした後、外国語学部フランス語学科に復学。浅草のストリップ劇場フランス座の文芸部兼進行係となり、台本も書きはじめる。
戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』が芸術祭脚本奨励賞を受賞。放送作家をしながら、大学を卒業。
1964年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。その後、五年間におよぶ。「泣くのはいやだ笑っちゃおう」というテーマ曲とともにミュージカル形式の番組は多くの人々に愛された。
1969年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。
1970年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。
1972年、江戸の戯作者群像を描いた『手鎖心中』で直木賞、『道元の冒険』で岸田戯曲賞ほかを受賞。以降、戯曲、小説、エッセイ、批評など多才な活動を続ける。
戯曲は、文学座、五月舎、しゃぼん玉座、地人会、松竹などに書き下ろす。『藪原検校』『雨』『小林一茶』『化粧』ほか、この時期の作品は今も再演され続けている。文章読本『私家版日本語文法』や東北の一寒村が独立する物語『吉里吉里人』はベストセラーになった。
1984年、こまつ座を旗揚げ。旗揚げ公演の『頭痛肩こり樋口一葉』から以降、2009年の『組曲虐殺』まで、こまつ座のために共催を含めて25作品を執筆。
1987年、蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して図書館「遅筆堂文庫」が開館。以後、校長として生活者大学校を開校してきた。1994年には遅筆堂文庫と劇場が一体になった「川西町フレンドリープラザ」が開館する。その後も続いた寄贈により、資料とあわせた蔵書は現在22万点を超える。
1997年、新国立劇場の柿落としに『紙屋町さくらホテル』を執筆。以後、「東京裁判三部作」他を書き下ろした。
戯曲『父と暮せば』『ムサシ』『化粧』『藪原検校』などは海外公演でも高い評価を得ており、『父と暮せば』は、英語、ドイツ語、イタリア語、中国語、ロシア語、フランス語で対訳本が刊行されている。国鉄民営化、コメ問題、平和と憲法についてなど、社会的な発言も多く、『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』『ボローニャ紀行』など作品も幅広い分野におよんでいる。「九条の会」呼びかけ人、日本ペンクラブ会長、仙台文学館館長、また多くの文学賞の選考委員を務めた。
2010年4月9日、75歳で死去。


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