この催しは終了しました

開催日
〜8月2日(日)
時間
平日9:30〜19:00  日・祝9:30〜17:00
場所
遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
料金
無料
月曜休館日

没後10年企画としてゆかりある6館で、1年にわたり開催される企画展です。


旅はここから始まった〝創作元年〟

若かりし頃の井上ひさしがどんなことに興味を持ち、どのように資料を集め創作に取り組んだのか…初期の創作ノートやファイル、情報カードなどからその一端を探っています。
また、今回は中学三年生のときに書いた詩や仙台一高時代の生徒会誌(1953(昭和28)年3月発行)に掲載された詩論「ヴィクトル・ユゴーの詩に就いて」も紹介しています。井上ひさしの長い作家活動の「旅はここから始まった〝創作元年〟」(没後10年企画展第I期)をぜひご覧ください。








◆遅筆堂文庫の開催予定はコチラ

Ⅰ期4/7~8/2「旅はここから始まった‘創作元年’」
 初期の創作ノートやファイル、情報カード、手帳などを展示します。

Ⅱ期8/4~10/31「ふるさとは本の海」
 主な著作資料から未公開のものを展示します。

Ⅲ期11/1~1/31「本の海は果てしなく広くて深い」
 社会的な発言にも及んだ農業、環境、憲法問題などの発言を紹介します。

※新型コロナウィルスの影響で開催日が変更となっております。



井上ひさしプロフィール



1934年11月16日、山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に、父修吉、母マスの次男として生まれる。
本名は廈。五歳のときに父が病没。亡父の蔵書を読みながら育つ。特に坪内逍遥訳の「シェークスピヤ全集」と「近代劇全集」を愛読。
仙台第一高校時代には、映画と野球に熱中した。受洗。
1953年、上智大学文学部ドイツ文学科入学。夏休みに母の住む釜石に帰省して休学。国立釜石療養所の公務員などを務めつつ二年余りを過ごした後、外国語学部フランス語学科に復学。浅草のストリップ劇場フランス座の文芸部兼進行係となり、台本も書きはじめる。
戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』が芸術祭脚本奨励賞を受賞。放送作家をしながら、大学を卒業。
1964年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。その後、五年間におよぶ。「泣くのはいやだ笑っちゃおう」というテーマ曲とともにミュージカル形式の番組は多くの人々に愛された。
1969年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。
1970年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。
1972年、江戸の戯作者群像を描いた『手鎖心中』で直木賞、『道元の冒険』で岸田戯曲賞ほかを受賞。以降、戯曲、小説、エッセイ、批評など多才な活動を続ける。
戯曲は、文学座、五月舎、しゃぼん玉座、地人会、松竹などに書き下ろす。『藪原検校』『雨』『小林一茶』『化粧』ほか、この時期の作品は今も再演され続けている。文章読本『私家版日本語文法』や東北の一寒村が独立する物語『吉里吉里人』はベストセラーになった。
1984年、こまつ座を旗揚げ。旗揚げ公演の『頭痛肩こり樋口一葉』から以降、2009年の『組曲虐殺』まで、こまつ座のために共催を含めて25作品を執筆。
1987年、蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して図書館「遅筆堂文庫」が開館。以後、校長として生活者大学校を開校してきた。1994年には遅筆堂文庫と劇場が一体になった「川西町フレンドリープラザ」が開館する。その後も続いた寄贈により、資料とあわせた蔵書は現在22万点を超える。
1997年、新国立劇場の柿落としに『紙屋町さくらホテル』を執筆。以後、「東京裁判三部作」他を書き下ろした。
戯曲『父と暮せば』『ムサシ』『化粧』『藪原検校』などは海外公演でも高い評価を得ており、『父と暮せば』は、英語、ドイツ語、イタリア語、中国語、ロシア語、フランス語で対訳本が刊行されている。国鉄民営化、コメ問題、平和と憲法についてなど、社会的な発言も多く、『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』『ボローニャ紀行』など作品も幅広い分野におよんでいる。「九条の会」呼びかけ人、日本ペンクラブ会長、仙台文学館館長、また多くの文学賞の選考委員を務めた。
2010年4月9日、75歳で死去。

井上ひさし公式サイトよりhttps://www.inouehisashi.jp/


◆井上ひさし展2020スタンプラリーにつきましては、公式ホームページをご覧ください

https://stamp.inouehisashi.jp/


川西町立図書館・遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
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山形県東置賜郡川西町大字上小松1037-1

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