第1部 フレンドリープラザ30周年記念講演「広場としての劇場〜その役割とは〜」


平田オリザ氏(写真の無断転写禁止)


「広場としての劇場〜その役割とは〜」と題して劇作家・演出家の平田オリザさんにお話をいただきました。


これからの川西町フレンドリープラザが担っていく役割や、町づくりの観点から「芸術文化」がいかに大切かを話されました。


冒頭、井上ひさしの戯曲「イーハトーボの劇列車」の最後のセリフを紹介され、100年前に生きた宮沢賢治も「広場」の大切さ、そして農民はじめ全ての人が「芸術家」であることが大切だと解いていたことを話し、 井上ひさしは戯曲「イーハトーボの劇列車」で、その思いをセリフに残したことに触れられました。

《紹介されたセリフ》

◎賢治に扮した農民:「広場があればなあ。どこの村にも広場があればなあ。村の人びとが祭りをしたり、談合をぶったり、神楽や鹿踊をたのしんだり、とにかく村の中心になる広場があればどんなにいいかしれやしない。」

◎女車掌:「ずっと先にも同じことを思い残して行った人がいたわ。あなたの思いをまたきっとだれかが引きつぐんじゃないかしら。」


自分の町の在り方を自分たちで考えられる社会「文化の自己決定力」、オンリーワンの町づくりが大切である、それぞれの市町村が「世界の中心」になることが人口減少を食い止めるために必要だとお話されました。

フレンドリープラザ開館時に井上ひさしさんから贈られた「遅筆堂文庫堂則」は次のような一文で始まります。

「遅筆堂文庫は置賜盆地の中心にあり、置賜盆地はまた地球の中心に位す。」

改めてこの考え方が、自分の町の在り方を自分たちで考えられる社会「文化の自己決定力」なのではないかとお話を聞いて感じました。

そして、「やらされる」ではなく自分から「やりたい」を引き出す様々な仕組みづくりが重要であり、その中で生まれるコミュニティの中で「誰かが何かを通じて誰かを知っている」という、ゆるやかなつながりのある社会こそがこれからの世の中には大切だとお話されていました。

これからのフレンドリープラザの在り方のヒントをたくさんいただけたように思います。




遅筆堂文庫堂則


第2部 シンポジウム「これまでとこれからPart2」


左から栗田館長(司会)・渡部ギュウさん・烏兎沼佳代さん・庄司勉さん・金子聡子さん


後半は、これまで様々な形でフレンドリープラザに関わってこれらた4人をパネリストに迎え

幅広い視点からお話をいただきました。


開館当初から幅広いイベントをしてきたフレンドリープラザ。

パネリストの方達がこれまで参加してきた点と点が、今回のトークの中で一つの線になったようでした。

初代館長の竹田又右衛門さんの思い出話やそれぞれの時代でプラザに関わってきた人達のお話を聞くことによって、より立体的にプラザという場所が浮かび上がり、今につながっているように思います。

 

井上ひさしさんの蔵書受け入れからはじまった「遅筆堂文庫」は、1987年川西町農村環境改善センターに設置されました。

その後1994年にフレンドリープラザが建設され、様々な人びととの交流の中で育てられた場所です。

これからも川西町の「広場」としての役割を担いつつ新しいことにも挑戦していきたいと思います。








開館30周年記念講演&シンポジウム広場としての劇場〜その役割とは〜
それぞれの詳しいプロフィールはアーカイブにてどうぞ


ご参加いただきましたみなさま、誠にありがとうございました。