写真:佐々木隆二


「生きていればこそ」

稔りの秋。思い起こすのはこの夏のコメ不足である。

井上ひさしが生まれた1934年秋が、今なお特筆すべきなのは、東北地方の大凶作によってであった。

稲刈りの直後から、欠食児童、行き倒れ、自殺者が相次いだ。

松皮をはいで食する山形県内の写真も残されている。現長井市内の伊佐澤村に「娘身売の場合は当相談所へ御出下さい」と看板が出たのがこの頃だった。

井上が農に、コメにこだわり続けたのは、この生年の頃の事件が大きな影響を与えたのだろうと思っている。

が、国政に翻弄され続けるコメ農家の悲哀は今なお続く。

生活者大学校校長井上ひさしの怒りの声がひびいてきそうな気がする。

無念、生きていればこそ、の生誕90年である。

今年の漢字は「米」騒動!? アメリカ騒動と読むのも可。


文・井上恒(井上ひさし研究家/川西町地域おこし協力隊)