井上ひさしさんが亡くなって11年目の朝

井上ひさしさんが亡くなって11年目の朝は、ちょっと寒い小雨模様。8時半を過ぎる頃からは久しぶりの雪になった。
あの時もこんなに寒かったかなと思う。例年なら日陰には融け切れずに、まだまだ残るところだが、今年はすっかりなくなり、7日には雪囲いもはずした。
お昼過ぎにはその雪も上がり、あと2日に迫った「吉里吉里忌」用の大きな“のぼり”が風に舞っている。今年のゲストは大竹しのぶさん。残念なのは、コロナ禍のなか満杯にはできず参加希望をお断りしなければならないこと。できることをできる範囲で続けていく。しばらくはその繰り返ししかない。
『引かない潮はなく 明けない夜もない』井上さんは求められた色紙に、こんなことばを残している。(阿部孝夫)


井上恒さんから井上ひさしさんへ

震災をきっかけにだろう、「生かされた」ということばをよく耳にするようになった。
実は、意識せずとも皆の記憶の奥底に、死者が語りかける次の台詞があったからだと思う。

「おまいはわしによって生かされとる」(父と暮せば)

11年前、早朝の訃報に慄えた。それが私の人生を変えることとなる。あの時から私はあなたを読み直し、そして自らを生き直すこととなる。あろうことにこの4月からは遅筆堂文庫のおこがましくも「研究員」と。井上ひさしが、あなたの故郷へ私を呼んだのだ。地霊「吉里吉里善兵衛」が多くの人々を呼びよせたように。明後日「吉里吉里忌」にはにぎやかなうたが今年も聞こえてくるはずだ。そこに立ち会える喜びに今、幸せを感じている。(井上恒)